色は、自分を映す鏡だった
公開日
選んで、溜めて、並べる。
そこから先に、もう一段だけ深い時間があります。
それは、読むという時間です。
落ち込んだ日と、満たされた日の色は違っていた
ある日、ふと気が向いて、過去一か月分の色を眺めたとします。
すると、こういうことに気づきます。
「あ、この日は確かに沈んでいた日だ」と覚えている日に選んだ色は、やっぱり少し暗い。逆に、誰かと深く話して満たされた日の色は、自分でも驚くほど明るい。
そして、こうも思います。
色を選んだ瞬間には、こんなにはっきり違うとは気づかなかった。
選ぶときは、いつも「なんとなくこれかな」で指している。けれど後から並べてみると、「なんとなく」の中に、あの日の自分がはっきり映っていたとわかる。
色は、書かなかった日記より、もしかすると正直なのかもしれません。
文章は、書くときに自分を整える。良いことを書きたくなるし、悪いことは少しぼかしたくなる。けれど色は、整える間がないまま指してしまう。だから、整わないままの自分が残る。
季節の変わり目は、色に先に出る
もう少し長い時間で眺めると、もっと面白いことがわかります。
季節の変わり目に、人の選ぶ色は先に変わるのです。
寒くなる前から、青や紫が増えてくる。春が来る前に、淡い桃や黄緑が混じり始める。これは「寒いから青を選ぶ」のような単純な反応ではなくて、自分の中に季節を感じる感覚が、暦より少し早く動いているのが見えるのです。
天気予報より、自分の色予報のほうが早い。
そんな発見が、振り返りの中で起きます。
これは、毎日意識して観察したわけではありません。ただ、その日その日に「なんとなく」を続けていただけ。なのに、後から並べると、自分のなかに季節と呼応する繊細なセンサーがあったことが見えてくる。
色は、書かなかった日記でありながら、書いていたら気づけなかったことを教えてくれる存在になる。
「傾向」ではなく「物語」として読む
Chromaterra(クロマテラ) で振り返りを見るとき、私たちが大事にしたいのは、「分析」ではなく「**物語**」として読むことです。
「あなたの今月の傾向は青が30%です」と数字で出されても、心はあまり動きません。
そうではなく、「この週は深い青が続いていた」と眺めながら、あの頃の自分のことを思い出す ─ そのほうが、振り返りの本来の力に近い気がします。
並んだ色を眺めて、当時の出来事を思い出す。あるいは、出来事を覚えていなくても、色から「ああ、こういう気分の時期だった」と感覚で読み取る。
これは数字にできない種類の理解です。
けれど、自分のことを「数字でわかる」より「感覚でわかる」ほうが、たぶん深い。
色は、自分を映す鏡。
ただし、その鏡は、整えた自分ではなく、整える前の自分を映す鏡。
振り返ることで、今日が変わる
そして、これが最後にいちばん大事なことなのですが ─
過去の色を読むと、今日の色の選び方が変わってきます。
今日の自分の色を選びながら、ふと「最近、暗い色が続いていたな」と気づく。そうすると、今日の自分を少し丁寧に見ようとする。「本当は、もう少し明るいほうかもしれない」と思い直す日もある。
過去を読むことが、今日を生きる手触りを少しだけ変える。
これは、書く日記でも本当は起きるはずのことです。けれど、続けるハードルが低い色のほうが、振り返ることのハードルも低い。だから、もっと頻繁に、もっと自然に、自分を読むことができる。
毎日、数十秒。
それだけで、自分という河を、自分で読めるようになっていく。
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一日に一色、置いておく場所。