7日分の色を並べてみたら
公開日
一日の色を一つ置いておく。それを、ためしに一週間続けてみる。
七日後、並んだ色を眺めることになります。
そのとき、たぶん、ちょっとした驚きがあります。
ばらばらに見えていたはずの七日が、不思議と「一本の流れ」のように見えるのです。
一日の色は、一日では意味を持たない
正直に言うと、一日だけ色を選んでも、それはあまり意味のあるものに感じられません。
「今日は青を選んだ」。それだけ。日記を書いたわけでもないし、写真を撮ったわけでもない。何かが残った気はするけれど、何が残ったのかと聞かれると、説明できない。
一日の色は、その日の中だけで完結すると、あまりに微かすぎる。
ところが、これが並ぶと、まったく違う見え方をしてきます。
月曜の青、火曜のくすんだ緑、水曜のオレンジ、木曜のグレー、金曜の鮮やかな黄、土曜のあたたかい赤、日曜の淡いピンク。
七つの点が、なぜか「一本の線」として見え始める。
並べたときに立ち上がるリズム
七日分を並べると、自分の中に小さなリズムがあったことに気づきます。
たとえば、火曜と水曜のあいだで色が大きく変わっていた。何かがあった日だと、後から思い出す。あるいは、週末にかけてだんだん色が淡くなっていった。疲れていたのかもしれないし、安らいでいたのかもしれない。
これは、書く日記では絶対に見えないものです。
文章はそれぞれの日が独立した記録になるので、横並びにしても「ばらばらな出来事の集まり」にしか見えません。けれど色は、視覚的に連続しているので、隣り合った瞬間に関係を持ち始める。
並んでいるだけで、リズムが立ち上がる。
これが面白いのは、自分でも知らなかったリズムだということです。「今週はこういう感じだった」と振り返りで作る物語ではなく、毎日無意識に選んだ色が、勝手にひとつの流れを描いている。
「色の河」というメタファー
これを私たちは「色の河」と呼んでいます。
一日の色は、河の一滴。
それだけ取り出すと、ただの水で、特別なものは何もない。
けれど、流れるうちに前後の色とつながり、季節の色と混ざり、いつの間にか「あなたという河」を形づくっていく。
Chromaterra(クロマテラ) でいちばん見てもらいたいのは、たぶん、この河です。
選んで置いておく行為は、一日の終わりに数十秒のこと。けれど、それが一週間、一か月、一年と続いたとき、振り返って眺める河は、もう「あなたが選んで作ったもの」というより、「自然に流れていたもの」に近くなっている。
それを後から眺めるのが、不思議と気持ちのいい時間なのです。
続けることで、自分が"読める"ようになる
一週間を眺めて気づくこと。
一か月を眺めて気づくこと。
半年を眺めて気づくこと。
それぞれに、見え方が違ってきます。
一週間ではリズムが見える。一か月では気分の周期が見える。半年では季節と自分の関係が見えてくる。
そして、不思議なことに、これを続けていくと、自分のことが少しずつ"読める"ようになっていく。
「最近、自分の色が暗いな」と気づく。「あの頃は、こんなに明るい色を選んでいたんだ」と発見する。「秋になると、いつもこの色が増える」と知る。
色は、書かなかった日記の代わりに、ずっと自分を見ていてくれる存在になる。
そして次に出てくる問いは、「この河は、何を語っているのか」というもの。
それは、また別の話にしましょう。
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一日に一色、置いておく場所。