日記が続かない人のための、1日1色
公開日
「今日はいい日だった」と書いた次の日、もう何があったか思い出せない。
日記を書こうとして、三日でやめた経験のある人は多いと思います。書くこと自体は嫌いじゃない。なのに続かない。理由は、たぶん「書こうとすると、ハードルが急に上がる」から。
「いい一日だった」では何も残らない
文章にするためには、その日を「言葉にできる粒度」まで分解しなければいけません。
何が良かったのか。誰と話したか。何を食べたか。どんな天気だったか。
ところが、思い出してみると、ほとんどの日は「言葉にしようとした瞬間に、ぼやけて消えていく」ものでできています。良かったのは確かなのに、どこが、と聞かれると詰まる。それで結局「いい一日だった」と書いて終わる。
そして翌日読み返すと、何も残っていないことに気づく。
書いたのに残らないのは、きっと、書く対象を間違えているからです。
その日を構成していたのは、出来事ではなく、もっと前の段階のもの ─ 気分や手触りや色合いのような、輪郭のないもの。それを「出来事」として書こうとするから、こぼれていく。
言語化できない気分を、どう保存するか
私たちの一日には、言葉になる前の感覚が確かにあります。
朝起きた瞬間の、なんとなく重い感じ。昼の光が差し込んだ瞬間の、ふと軽くなる感覚。夕方の、満たされていたような、けれど少し寂しいような気分。
これらは「重い」「軽い」「寂しい」と書いた瞬間に、もう違うものになっています。本物はもっと混ざっていて、もっと曖昧で、言葉では届かない場所にある。
けれど、こういう感覚にも、不思議と色のような感じはあります。
朝の重さは、すこし鈍い灰色がかった青。昼の軽さは、明るい黄色を帯びた白。夕方の感じは、紫と橙が混ざった、名前のない色。
書こうとすると消えるけれど、色なら指せる。
それが、続かなかった日記のかわりに置いておけるものかもしれません。
1日1色という、最も低いハードル
文章を書く必要がない。写真を選ぶ必要もない。
ただ、今日の気分に近い色を、ひとつだけ指す。
これだけなら、続けられそうな気がしませんか。
実際、これが書く日記より続きやすいのは、判断を一つも要求されないからです。「今日はどんな日だったか」を整理する必要がない。「他の人にどう見えるか」を気にする必要もない。指すだけで終わる。
そして指したあとで、不思議なことに、その日の輪郭が少しだけ立ち上がってきます。
「ああ、今日はこういう色だったんだな」と、自分でも知らなかった気分の名前を、色が代わりに呼んでくれる。書くと消える感覚が、色で残せる場所に置かれる。
私たちが Chromaterra(クロマテラ) という小さなサービスを作っているのは、この「指すだけ」をできるだけ気持ちよく続けられる場所が欲しかったからです。
色相環が一つ。今日の自分に近い色を選ぶ。それで、その日が記録される。
書かなくていい。撮らなくていい。判断しなくていい。
ただ、置いておく。
色を選ぶ瞬間に起きること
実際にやってみると、面白いことが起こります。
色を選ぼうとした瞬間に、初めてその日が「思い出される」のです。書く日記とは順序が逆で、色を探す行為そのものが、振り返りになっている。
赤か、青か。もう少し暗い方か、明るい方か。鮮やかか、くすんだ方か。
迷いながら指す数十秒のあいだに、その日が頭の中をもう一度通り過ぎていきます。
そして指し終わったとき、その色は、今日のあなたを少しだけ知っている存在になります。
明日また、別の色を指す。
それが続いていったとき、何が見え始めるか ─ それはまた、別の話です。
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一日に一色、置いておく場所。